東北地方太平洋沖地震のおれ雑記帳2

Glückwunsch zum 25! Fukushima grüßt Tschernobyl  &  Bad Religion.
Creative Commons License photo credit: quapan

前回からの続き
東北の本当に大変な様子がテレビやネットやラジオを通して伝えられました。
14mの津波が襲い、12日、電源系統が死んだ核融合炉の1号機で水素爆発、13日にも3号機が水蒸気爆発海水を流し込み、2km→3km→10km→20kmと、じわじわと待避圏内が20kmに広がっていきました。
水素爆発はテレビ中継され、その衝撃的な映像に人々は衝撃を受けました。東京の人達は、パニックを起こしてしまい、水や食料を買い占め、裕福層は海外へ脱出し、閑散とした場所もあるそうです。

様々なソーシャルサービスが力を発揮しSNSやTwitterで安否情報や被災地の状況等を知ることが出来ましたが、一方で不安を煽るようなつぶやきや情報が産まれ、拡散していき、これもパニックに拍車を掛ける要因になったように思います。

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基本的な原発の用語等はこのサイトがわかりやすくて正確だと思います。
上記サイトを元に更に簡単に書きます。


    放射能について

  • A.福島原発は安全なの?
    Q.わからない。
  • A.放射能ってなに?
    Q.放射性物質が放射線を出す能力のこと。「放射能が来る!」って言う言葉は本来間違いだけど通俗的に放射性物質=放射能って言ってるよな。
  • A.シーベルトとかベクレルとか聞き慣れない単位を説明してよ。
    Q.放射線量=Gy(グレイ)/放射能の強さ=Bq(ベクレル)/人体への影響力=Sv(シーベルト)
  • A.放射性物質が半分になるまでの期間は?
    Q.ヨウ素131の半減期は8.02日。キセノン137の半減期は3.8分。セシウム137の半減期は30年
  • A.外でない方がいいかな?
    Q.避難指示があったら冷静に逃げよう。それ以外はあんまり気にせず外出しよう。気にしすぎが一番良くない。
  • A.放射線ってどの程度喰らったら危ないの?
    Q.100ミリシーベルト以上になると危ない。それ以下なら色々病気になっても因果関係なしみたい。
  • 原子炉について

  • A.放射線ってどの程度喰らったら危ないの?
    Q.100ミリシーベルト以上になると危ない。それ以下なら色々病気になっても因果関係なしみたい。
  • A.海水かけ続けてるのは何で?まだ動かしてるの?
    Q.制御棒入れてすでに停止しているけど、崩れながら発熱して崩れていくものが燃料棒に放射性同位元素ってのが付着していて、そいつをとにかく冷やさないといけないの。
  • A.水素爆発したって言ってるけど、大丈夫なの?
    Q.爆発しただけで放射線自体は出てないから大丈夫
  • 以上自分の勉強の為に一通り読みました。適当かつ以前の情報なので当てにしないでね。更に詳しくはこっちのエントリがいいかも
    MIT原子力理工学部による改訂版・福島第一原発事故解説 – arc の日記 : digitalmuseum


    関東人はパニックを起こす一方で、どうにかして被災地の方々の力になれないのか、と言うことにも悩んでいました。「素人が被災地に行っても役に立たず、飯を食うし寝床を奪うし迷惑なだけ」「募金が一番」「節電しよう」「絵を描こう」「歌を歌おう」等。
    以下は学生時代阪神淡路大震災にボランティアへ行った方のエントリー。その経験が今されている職に繋がっています。(ご本人のブログが消えていたので、全文引用されている方のブログにリンクします)
    被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ〜僕の浅はかな経験談〜 – 精神世界 (アセンションについて)

    被災していない人間は被災者の気持ちが絶対にわからない。被災者を余計傷つけるだけだと言う話。
    今村岳司XDL – diary(2011-03-13)

    力強い老人の言葉。
    YouTube – 【地震】じいさん「また再建しましょう」

    asahi.com(朝日新聞社):「大震災は天罰」「津波で我欲洗い落とせ」石原都知事 – 社会
    石原慎太郎・東京都知事は14日、東日本大震災に関して、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べた。都内で報道陣に、大震災への国民の対応について感想を問われて答えた。

    発言の中で石原知事は「アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と指摘した上で、「我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを(津波で)一気に押し流す必要がある。積年たまった日本人の心のあかを」と話した。一方で「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べた。

    石原知事は最近、日本人の「我欲」が横行しているとの批判を繰り返している。

    Googleは次々と災害向けサービスを発表しました。本田技研工業(株)・パイオニア(株)・トヨタ自動車(株)・日産自動車(株)と手を組んだサービス
    東日本大震災 – 自動車・通行実績情報マップ

    アルファコンビニ店長ブロガーのエントリ。
    商品はちゃんと入荷してます – G.A.W.
    「まじめな人」と「不謹慎な人」 – G.A.W.

    自衛隊の方のつぶやきです。魔法少女まどかマギカや東方についてのツイート多数。「マミさんのおっぱいもみたい」等と呟いている裏で、本当に沢山の惨状を目にしているはずです。
    Togetter – 「被災地で救助活動を続けるある公務員のつぶやき」

    メーヴェ(らしきもの)を作っている事で有名なメディアアーティストが、非常にわかりやすいたとえでツイート解説しています。
    Togetter – 「うんち・おならで例える原発解説」

    ニューヨークタイムズ 被災地の画像
    Photos of Japan After Earthquake and Tsunami – Photographs – NYTimes.com

    世界中で起こっている地震の最新情報
    Latest Earthquakes M5.0+ in the World – Past 7 days

    原発事故処理に向かうエンジニアのニュース
    時事ドットコム:「使命感持って行く」=電力会社社員、福島へ−定年前に自ら志願

    現地にて掲示されている安否情報をpicasaにアップロードし、ネット上の有志が内容を人力タイプしています。
    Picasa ウェブ アルバム – Google Japan

    教育者としての意志がみなぎる名文。全文引用させていただきます。
    卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ) | 立教新座中学校・高等学校

    卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)

    2011.03.24* トピックス

    卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

     諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
     とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
     未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
     このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
     諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
     大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
     大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
     多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
     楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
     君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
     学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
     誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
     大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
     言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
     中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
     大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
     大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
     池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
     「今日ひとりで海を見てきたよ。」
     そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
     悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
     時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
     いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
     いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
     海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
     真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
     鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
     教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
     「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

     一言付言する。
     歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
     泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
     今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
     被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
     巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
     本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
     被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
     梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

    立教新座中学・高等学校
    校長 渡辺憲司