ネットワーカー達の意見を見ると「犯人の行為は許されるべきではない」と断った上で同情的な意見が多数見られました。
まとめサイト
犯人が事件直前まで書き込んだ時系列のコメントなどがあります。
*追記
はてなアンケート(秋葉原の通り魔事件の犯人について、あなたはどれぐらい同情しますか?)
「少しは同情できる」が思ったより少ないので安心しました。
結構派遣社員の待遇についてのコメントがおおいですね。この事件が切っ掛けで派遣社員が救われるようになるということは、容疑者は彼等派遣社員の代弁者、となってしまう感じですね。こうなる前に、皆が住みよい生活を行うことが出来ればいいのですが。
秋葉原の無差別殺傷事件、英米ではどう見られているか 英タイムズ紙の読者コメント
今、秋葉原で職務質問に素直に応じないと、こーなる
絶望映す身勝手な「テロ」 秋葉原事件で東浩紀氏寄稿
秋葉原刺殺事件に遭遇して
秋葉原通り魔事件が例外的犯行だと思えない理由
これは、2008.06.08に僕が遭遇した秋葉原通り魔事件の全記録です
秋葉原通り魔事件 現場に居合わせた者の主観的記録
同じ空間を共有できていたのか--秋葉原事件の撮影について
[ごにょごにょ]【秋葉原無差別殺傷】人間までカンバン方式
秋葉原無差別殺傷事件、雑感
父親の言葉で心に残っていること
418 ななしのいるせいかつ 2007/05/01(火) 19:52:57
小学校から中学卒業まで9年近くイジメを受けていた私。
どんなに辛くて泣いていても父は「我慢してみろ」としか言わなかった。
あとはただ、だまって何時間も私の話を聞いてくれた。
そんな私は東京の学校へ進学し、今は東京で多くの友人と元気に暮らしている。
大人になって、イジメられていた傷は癒えたわけではないけれど、イジメをする側
でなくされる側であって良かったと感じれるようになった。
あの時我慢して学校へ通ったおかげで、精神的にも強くなれたと思う。
人の痛みが、多少は分かる大人になれたと思う。
お正月に帰省をした時、孫(姉の娘)を抱きながら父が姉に言った。
「子供がイジメられて辛くない親はいない。
でも、イジメをするような人間にだけは、育てるな。
親としてそれ程切ない事はない」
あの時、私がイジメをする側だったら、父は激怒していたかも知れない。
この言葉を聞いて、父が私の父でよかったと心から思って涙が出た。
お父さん、ありがとう。
こっちで元気に頑張るからね。
文章力・・・限界でした。
わかりづらくてごめんなさい。
小学校2年生の作文に泣かせられたよ。
小学校2年生の作文に泣かせられたよ。Something Orange
甘え上手、という言葉の意味がわからないほどに、人に甘えるって事に抵抗を感じるの。
ダイアログインザダーク
たのしかったな。
闇の中でATフィールドが弱まる感じ。
人見知りの僕でもなんか仲良しになれた。
でもみんなさっさと帰っていった。
動物の森まんが
動物の森まんが 似たような話が2ちゃんねるにあって、ゲームボーイのSaGaだったかな。 同じように、死んでしまった人が、ゲームの中に、まだこれから生きていくであろう人に向けて、メッセージを込めるという話だった。 テレビゲーム世代がおとなになり、死んでいくに連れ ゲームの中に記憶を封じ込める話は、これからどんどん増えていくのだろうな。
Saga2は思い出のソフトなんだ…… 今でもよく思いだしては切なくなってます。 俺さ、産まれた時から酷い小児喘息だったのよ。 夜中にかーちゃん起こして病院連れてってもらうなんてしょっちゅうだったし、 小学校あがって更に病状が悪くなって。 もちろん体育なんかでれないし、みんなと外で遊ぶ事すらできなかった。 んで、小五になってからほぼ毎日病院行って吸入するくらいまで悪化しちゃって、 そのまま3週間入院する事になって。。。 んでね、そん時4人部屋の病室だったんだけど 二人はおばあちゃんとおじさん、んでもう一人は俺と同い年くらいの女の子だった。 俺、昔からすげぇ人見知りが激しい上に物凄い照れ屋で、なかなかその同室の人達と仲良くなれないで一人で勉強してるかゲームボーイやってるかだったのよ。 そん時家から持ってきたソフトが「Saga2」で、もう一回クリアしたやつだったんだけどヒマだしもっかいやるかな、って毎日やってたワケさ。 んで入院して一週間立った頃、俺がゲームボーイやってる時はなんかその同室の女の子がじーっとこっち見てる事に気づいたんよ。 俺が彼女の方みると慌てて目逸らすんだけどね。 もしかしてやってみたいのかな?と思って、「良かったらコレ借そうか?」って聞いたのよ。 そしたら目ぇ輝かせて「いいの?」っていうもんだから、「もう飽きたからな」とか照れ隠しして借してあげたさ。 でも案の定操作が分からないらしく、画面とずっとにらめっこしてるもんだから俺が操作教えながら一緒にゲーム進めることにしたんよ。 パーティーは人間・男の主人公「リョータ(俺の名前)」で、仲間は人間・女「さやか(彼女の名前)」 あとはエスパーガールとロボットにそれぞれ同室のばあちゃんとおじさんの名前つけたっけ。 それからどんどんそのコと仲良くなって、二人でゲームボーイやるだけじゃなく、色んな話もするようになった。 学校の事、家族の事、好きな音楽の事、近くに迫った夏休みの事… それからの時間はあっという間だった。すぐに俺が退院する時がやってきた。 看護婦や同室のおじさん、ばあちゃん達が口々に「おめでとう」って言ってくれてる中彼女だけ泣いてた。それ見て俺も泣きそうになったさ。 でもグッと堪えて「オマエ退院するまでコレ借してやるよ。退院したら連絡くれよな」ってそのままゲームボーイとSaga2置いていったのよ。 それから何回もお見舞しに行こうと思った。… でもいざ行こうかと思うとなんか照れくさくて行けなかった。 連絡がないまま1年半が過ぎて、俺も小学校を卒業する頃になった。 せめて卒業前にもう1度会っておきたいな、と思って意を決してお見舞に行く事にしたんよ 病室に行ったけど彼女はいなかった。病室入口の名前欄にもない。 もうとっくに退院してたのかな…?と思ってとりあえずナースセンターで聞いてみた。 「遠い所にいった」とかうまくはぐらかされたけど、俺も小6だったし、そこまでバカじゃない。 その場の空気や後ろの看護婦が泣き出したのを見ても明らかだった。 俺がショック状態で呆然としてる中、その看護婦が 「ああ、そういえばさやかちゃんから、リョータ君が来たら渡しといて、って言われた物があるのよ」 と言って俺にそれを渡してくれた。 借してあげたゲームボーイとSaga2だった。 俺はそれを受けとって家に帰った。 帰るなりメシも食わないで、暗い自分の部屋でゲームボーイのスイッチを入れた。 懐かしいあのOPの音楽。それと一緒にでてくるロード画面。 一つは彼女と俺が一緒にプレイしたデータ。あの時からほとんど変わってない。 懐かしさと悲しさで胸がいっぱいになった もう一つのデータはやたらレベルの低いデータだった。 最初から始めてすぐ飽きたんかな?と思ってそのデータをロードしてみた。 パーティー四人の名前がこうなっていた。 「リョータ」 「いろいろ」 「ありがと」 「バイバイ」 …今でもSaga2のOPの曲を聞くと涙が出るよ。 お見舞行ってあげられなくてゴメンな…。
個人史は終焉しない。続く。
個人史は終焉しない。続く。
大概の母親は、子供を分身と思ってしまう。
ある年齢まで、それは本当なのかもしれない。メラニークライン系の本を読んでいると、そんなことが書いている。母性の原初的没頭から始まる、深く重い想い。
けれど、それは後々、成長するに従ってだんだん愛情という名の束縛となってしまう。
この人は深く重く愛することをセーブ出来る人なんだなっておもう。木に立って遠くから見守ろうと努めている人なんだと想う。