俺も行ってきた大祭

1 名前:春デブリφ ★[sage] 投稿日:2008/07/20(日) 18:34:18 ID:???0
 日本三大霊場の1つとして知られる青森県むつ市の恐山で20日、夏の大祭が5日間
の日程で始まった。死者の言葉を伝えるという霊媒イタコの「口寄せ」が行われ、時折
小雨が降る中、大勢の人が早朝から列をつくった。
 イタコは厳しい修行を積んで死者の霊を呼び出すことができるとされる女性で、この
日は6人がテントの中で「口寄せ」を行った。
 秋田県八郎潟町から夫婦で訪れた松田義紀さん(61)と幸子さん(59)は6時間
近く並び、病気で亡くなった義紀さんの父親と、夫婦の30年来の友人を呼び出しても
らったという。2人は「もっとゆっくり話がしたかった」と残念そうだったが、「亡く
なった人に気持ちを伝えるために来たので満足しています」と話した。
 むつ市によると、大祭期間中は例年約3万人の人出があるという。
■ソース(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080720/trd0807201816015-n1.htm
214 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2008/07/21(月) 11:38:44 ID:U9MOq9lE0
まぁたしかに漏れも昼間はただの観光地だと思うよ。実際、人多くてにぎやかだしね。
でも夜行ってみな。夕方から深夜までお寺の中で仮眠できるから。
そこは自分の身近な大切な人が死んでしまって、(もっと私に何かできなかったのだろうか?)
と罪悪感を勝手にもってしまって精神的に苦しんでいる人がたくさん来るんだよ。
そんで深夜になるとみんなで賽の河原で祈る。その光景見てこわいっていうより
神聖な気持ちになったよ漏れは。
夜もイタコがいるんだけどね、ほんとに真剣だったよ。嘘でも別にいいと思う。
苦しみから解放される人もたくさんいるしね、安易に馬鹿にしていい場所じゃないと思う。
そのへんの宗教よりよっぽど真実味があったよ。自分の目で確かめに行くことをおすすめする。
西洋医学的なアプローチだけが人間の治療法ではないと思うんだよね。明るい場所だけでは
嗚咽できないものっていうのが人間にはあると思う。

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赤塚先生

赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文(産経新聞) – Yahoo!ニュース
赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文
8月7日11時53分配信 産経新聞
赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文
 タモリさんの弔辞は以下の通り。
 「8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。
  【写真で見る】 インタビュー中にウナギイヌを描く赤塚さん
 10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。
 終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。
 しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。
 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。
 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
 あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。
 私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義」

これだけ一緒にいるんだから、愛情が芽生えているはずだ!っていってホモセクシャルセックスを試してみたけど無理だった、って話がすごく面白かったな。
ないちゃったよ。

ばあちゃんと自転車

ばあちゃんと自転車
あ~くそ!ますだこの野郎!なんていい話かくんだよこの野郎!
教科書にでも載ってそうな話書くなよ!泣けるじゃねーか!

発散の仕方を知らない人たち

31年前の加藤智大
自分もかなり内向的で職場ではほとんど口をきかない。集団が怖くて、事務的な会話をすこしでもすると、心臓がドキドキいって汗が滝のように噴き出してしまいます。
発散の仕方は確実にわかりません。
3~4人の職場の時は大丈夫でしたが…。
こういった人間はどうやって生きていったらいいんでしょう。

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