ポーランドの画家を紹介します。
彼は悪夢や死、孤独などのネガティブなテーマでファンタジーを描くアーティストです。
作画中は沈黙を嫌い、常にクラシック音楽をかけながらカンバスに向かっていたそうです。音楽は彼の大きなインスピレーションになっていました。
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1929年生まれ。
少年時代にナチスドイツのポーランド侵攻を体験し、大学で建築を学びましたが、建築現場監督という職を嫌い、写真、彫刻、絵画等の制作を始めます。
1964年のワルシャワにて個展を開き、すべてが完売となり、ポーランドの有名な画家になります。
60年代後半から80年代半ばまでを自身で「空想的な期間」と呼び、骨や死者等のイメージを注ぎ込んだ絵を前に「私は夢で見た景色を、撮影したかのように忠実に描いたのだ」と言っています。
80年代の終りには彼の名は、フランス、日本、アメリカにも届き、世界的な画家になります。
しかし、90年代は次々と悲劇に見舞われてしまいます。
1998年に、妻のゾフィアが亡くなります。
翌年1999年クリスマスイブ、ラジオ番組の司会者、翻訳者の息子が自殺。
息子の死を受け入れることが出来なかった彼は、「私が死んだときのために 息子へ」という封筒を壁にピンで止めていました。
2005年2月21日 ワルシャワのアパートにて17の刺し傷と共に彼の骸が発見されました。
彼を殺したのはRobert Kupiec(彼のパトロンの息子)でした。
百ドル程度の借金を彼に無心し、断られたことが原因だと言われています。
彼は作品に対してタイトルを付けることはせず、また作品に対する解説を嫌いました。
陰鬱な作風とは違い、ベクシンスキー自身は少しシャイだけれども良く笑い、イベント等では気軽に語らっていたそうです。
ベクシンスキー公式サイト
Zdzislaw Beksinski – Official website presented by Belvedere Gallery
ギャラリー
Zdzislaw Beksinski