とてもショッキングな画像、内容です。閲覧注意。
東海村で起こった事故は今考えても恐ろしい| Power2ch
こちらの方が「被爆治療83日間の記録」という書物をまとめています。
科学通信の部屋
そのpdfファイル
Hibaku2.pdf
ボロボロの患者をある意味実験的に延命しなければならなかった医師達の苦悩、それを見守るしかない家族。胸が張り裂けそうになります。電気の暮らしで僕らは豊に暮らしていますが、その豊かさは一歩間違えると人類の破滅を引き起こす装置の上で享受しているのですね…。
東海村JCO臨界事故 – Wikipedia
「うちが起こした事故はうちで処理しなければならない。」(社長・工場長談)
被爆するとわかっていて決死の思いで止めに行った人たちはどのような思いだったのだろうか。
水木しげるとオーストラリア旅行記を著した人の母親も、明らかに体調を悪くしたのに、国はそれを認めず何にも補助してくれなかった、みたいなことを書いていたような。。。。
もんじゅに関する分もどこかで読んだのだけれど、村人は公共事業として一応は受け入れている人がおおく、反対する人間は、いつも外部からやってくる、とか村人が語っていたような。
(うろ覚えのにんげんが書いてることなのですいません。インターネットの情報は嘘が多いです。スミマセン。)