僕の大好きな芸能人は江頭2:50分なんだけれども、久しぶりにwikipediaの江頭のページを見たら、ものすごく長大な歴史書みたいな分量になっていたので驚いた。しかも、これほど長大なデータにもかかわらず編集合戦やもめ事なんかは一切起きていない。これも彼の人徳のなせる技だと思う。
江頭という存在は日本のネットワーカー達になぜか好かれている。なんでだろうか。
江頭2:50
「目の前で悲しんでいる人を見つけたら何とかして笑わせたい。そのためなら警察につかまってもいいし、寿命が縮まってもいい。」
「俺のライブに来てるやつらの顔を見てると、結婚はおろか、恋愛もまともにできないんじゃないかって言うような奴らばっかり。だけど、俺はそういう奴らのためにこそお笑いをやりたい。」
「生まれたときから目が見えない人に、空の青さを伝えるとき何て言えばいいんだ?こんな簡単なことさえ言葉に出来ない。だから俺、もっと頑張るよ。」
「気持ち悪いって言われることには慣れたけど、たまに『死ね!』って言われるんだ。俺は言ってやりたいよ。こんな人生死んだも同然だってね。」
「これをやったら次回出られなくなるんじゃないかなんて考えないようにしている。人間、いつ死ぬか分からないからその時のすべてを出し切りたいんだ。俺はいつ死ぬか分からないし、見てくれてる人だっていつ死ぬか分からない。視聴者が最後に見た江頭が手抜きの江頭だったら申し訳ないだろ?」
彼は笑いと共に殉職しようとしている。とても格好いい。だけれどほとんどの視聴者からは異端視され馬鹿にされ避けられている。なみだが出てくる。
もっとソフト化して出して欲しいな。ライブにも行ってみたい。
pppするぞも、いいな。アキちゃんとの掛け合いがほのぼのしてくる。この番組を企画してスタッフも、企画を通した偉い人も、すばらしいと思う。
彼が人生の過程で命がけで放った笑いは、不幸な人でも、ダメなおとこでも、一瞬だけ、生活を忘れるような、明るさに満ちた時間を過ごすことができる。
エガちゃんが先か、僕が先に死ぬのか分からないけれど、最期の日まで、彼を見て、笑っていたい。